【REN 柳本大さん】革そのものの魅力を生かしたものづくり|つくり手インタビュー
無駄な装飾は極力省き、素材の持つ魅力が引き立つようなデザインが特徴のバッグブランド、"REN"。
シンプルで洗練された雰囲気のバッグがどのような背景でどのように生みだされているのか、代表/企画の柳本大さんにお話を伺いました。
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お洒落がとにかく好きだった、学生時代
— 柳本さんの生い立ちや”REN”ブランド立ち上げまでの経緯から伺ってもよろしいですか?
ざっくり話すと、中学生のときにお洒落な友達がいて、その影響でよく一緒に渋谷とかに行っていたんだよね。
その頃はちょうど裏原ブームだったから、はじめて裏原に行ったときは「なんだこれは!?」と、すごく衝撃だった。
洋服なんて全然知らなかったし、それまでは親が買ってきたのを着ていたんじゃないのかな?
でもその仲の良いひとりの友達を中心にだんだん感化されていって、中3になる頃には、もうお洒落大好きになってた。
それでその頃は物づくりっていうよりも、とにかく洋服が、もうファッションが楽しいっていう感じで。
— なるほど!ものづくりというより、お洒落が好き!から始まったのですね。
そうそう、単純にお洒落。お洒落がしたいっていうだけだった。
それは高校に入ってからも変わらずで、高1くらいの時にはもう自分は大学には行かないで服飾の専門学校に行こうと思ってた。
高2くらいの時には友達と洋服を解体して、ミシンとかでなんか作ってたね。
色も自分たちで染めたりして。今思うとすごいダサかったと思うんだけど。(笑)
それから洋服のパターンとかを作りたいと思って、高校卒業後は桑沢デザイン研究所のドレスデザイン科に入ったんだよね。
その頃はとにかく洋服が好きだった。
偶然目にした革に魅せられ、独学で革の道へ
— 桑沢デザイン研究所のドレスデザイン科では、どんなことを学ばれたんですか?
まあ洋服全般だね。歴史から始まって中世の洋服がどうだったとか、パターンの授業もあったりして。
1〜2年生で洋服について学んで、その時は全然革のことは知らなかったんだけど、たまたま卒業制作のために日暮里に生地を見に行ったときに、たまたま入ったお店が革専門のお店で。
そこで初めてちゃんと革を見たんだ。一枚の皮。
リアルな虎の毛皮とかもあったんだよ。今は多分販売できないだろうね。
それを見たら、なんだか感動しちゃって。
それがこの業界に入る本当のきっかけ。いまだにはっきり覚えてるよ。
— なるほど。たまたま目にした革との出会いがきっかけなんですね。
専門学校を卒業してからは就職せずに、渋谷の東急ハンズに行って手縫いの道具とか革とか一通りのものをアルバイト代で買った。
それで、はじめてバッグを見よう見まねで作ってみて。
当時は革を縫うのにミシンって想像がなかったから、もう全部手縫いで。
その頃はアルバイトもしていたんだけど、そのときにベルトからぶら下げる巾着バッグみたいなのを鹿革で作ったんだ。
ちょうど携帯と財布が入るぐらいの小さいものを。本当それが最初の、最初のきっかけかな。
— まずは革を使って、自分で使う用のものを作り始めたってことですか?
そうそう。そうしたら、それを見たバイクに乗ってる友達も欲しいって言うから、作ってあげたりして。
そのうちトートバッグとかもね、見よう見まねで手縫いした。
— それじゃあ、革の扱い自体は独学ということですか?
そうだね。
でも洋服ってアームホールとか襟切りとか…作りが複雑なんだけど、それに比べたらトートバッグって、四角で、表と裏も一緒の形で、ポケットつけて、ハンドルつけて出来あがりだから、圧倒的にパターンが簡単なんだよね。
バッグって、自分で作るのには一番いいアイテムだと思う。趣味で作るにも。
それから、一年くらいアルバイトをしながらそういうのをやってた中で、やっぱり就職しようって思って就職活動を考えたんだけど、どちらかというとバッグが好きというより革が好きだって思って。
— なるほど。素材としての革そのものに惹かれていたんですね。
そう。だから就職情報誌をみてたときにタンナーの募集とかもあって。当時はタンナーから修行したいなって思った。
とにかく革が好きだったから。
でも、電話した時にはもう募集が終わってしまっていて。まあ仕方ないかって。
— あら、ご縁がなかったんですね…。
それで結果的には、日暮里にあるバッグメーカーの会社の企画室で募集をだしていて、そこに就職した。
確信的にバッグをやりたかった!という訳ではないけれど、結果的には作っていたものがバッグだったから、それを面接で見せたらすぐに採用してもらえて。
なかなか面接にバッグ作って持ってくるって当時なかったと思うからね。
「自分は職人になりたいわけじゃなく、生み出したかった。」
— 就職後はどのようなお仕事をされたのですか?
その会社は、いわゆるパターンサンプルっていう、いろんなブランドのサンプルを仕上げるって会社で、そこで裁断の仕方から革の扱いなんかも、一通りのバッグの作りかたを学んだ。
生地の扱いもそこで学んだし、それが一番のいい経験だったな。それまでは独学だけだったけれど、ちゃんとプロの仕事を学べたから。
ただやっぱり2年だけだから、部長とかのようには全然できなくて。本当にプロの手捌きだなって感じ。
逆にそれをみて、「自分はやっぱり作る側ではないな」って思ったの。
自分で作るんじゃなくて、こういう人に作ってもらえばいいんだって確信に変わったというか。
やっぱり自分は職人になりたかったわけじゃなくて、生み出したかった。っていうのかな。
本当にその部長は天才的なんだよね、物づくりが。
結局その会社は2年でスパッとやめて、そのときに「ミシン一台ください」って言って、5万円で譲ってもらったの。いまだに使っていて、これだよ。
これが、20歳で学校を卒業してから21〜23歳くらいの出来事かな。
退社後独立し、現在のREN立ち上げの道へ
— 退職後はすぐに独立してブランドとしての活動を始められたのですか?
ううん、26歳くらいの時に、初めてRENって名前で展示会に出したのがブランドとしてのスタート。
それまでは趣味の延長線上みたいな感じで、一応個人事業主として立ち上げたけれど、アルバイトをしながらいろいろ作って、知り合いのお店に並べてもらったりしてた。
— RENの立ち上げまでも4年と結構な期間がありますよね。その間はデザインから制作まですべてご自身でされていたのですか?
そうだね。なんか当時はミシンを使いたくないっていうこだわりがあって、手縫いで全部作ってた。
その頃にハワイアナスのビーチサンダルのトングに革を巻くって仕事が大量に来て、編んだりするのはやったことがなかったから、当時アルバイト先で一緒だったMっていう女の子に声をかけてさ。
ちょっと手伝って欲しいみたいなところから始まって、実は今も生産管理を任せているんだ。
— すごいご縁ですね。その頃のアルバイトというのはやはりクラフト系だったのでしょうか?
ううん、結婚式場。ものすごく時給が良かったんだ。
土日だけ週2で働いて、平日は制作活動して…みたいなサイクルの生活を4年くらい続けたのかな。
それで展示会とかに出て、卸先とかがちょっとずつ増えてきて、28歳でバイトを辞めて、30歳で今の会社を設立。
20代はそういう感じだった。修行みたいな。
— なるほど。そのRENというブランドや会社を立ち上げた時点では、お一人だったんですか?
その時はもう妻もいて経理的なことをやってくれてた。例のバイト先で出会ったMとふたりでに生産をやって、あとは営業担当。
発起人は自分だったけど、その4人で立ち上げたみたいな感じ。
— それで今もみなさん揃っていらっしゃるなんて、すごいですね。
そうそう。
豚革(ピッグレザー)との出会い
— はじめから現在のRENの主力素材であるピッグレザーを使用されていたのですか?
いや、最初は牛革のオリジナルレザーとかでメンズのものを中心に作っていたんだけど、ちょうどレザーバッグの中国生産っていうのが流行り出したときで。
中国生産だとすごい雰囲気がいいのでも、2万円以内とかで売ってたんだ。
うちは国産で革から作ってやってたから、どうしても4万円くらいになっちゃう。
それで全く見向きもされない時代があって、「あっ、これはまずい」と思った。20代の頃ね。
そんな時にたまたま展示会で会った革屋さんに事情を話して「安くて良い革ないですか?」って。
そこで出会ったのが、豚革。
当時から豚革は安かったの。豚って唯一、需要と供給がもう満たされて、なおかつ余っちゃうから海外に輸出までできる革だからね。
— そんなにですか?
そう、牛革とかは国産も一部あるけど、ほとんどが北米とかバングラデシュとかブラジルとかからくるもので。
それに比べて日本は、豚革は余っちゃって輸出できるくらい。
豚肉って、日常的によく食べるじゃない?
とにかく豚革はたくさんあるから、そういった意味でも値段が安かった。当時は牛革の半分以下だったかな。
— 半分!そんなに値段が違うんですね。
ただ、なんで豚革があまり使われてないかっていうと、あの当時…まあ戦中から続いてたと思うんだけど、牛革がいいものとされていて。
今でこそそんなにいないと思うけれど、当時は豚革に嫌なイメージ持ってる人が多かったんだよね。
「豚革を(製品の)表に使うなんて、売れるわけないから」って何人にも言われた。
— それって、豚革は格が低いみたいなイメージがあったということですか?
そう、まさにその通りだね。
わかりやすく言うと、例えば金って高価だから、いわゆる鉄とか真鍮でなんか作るみたいな感覚なのかな。
でも実際のところ、そんなことはなくて。
— 牛革の劣化版・代用品みたいなイメージが当時はあったのですね。
そうそう。でも、最終的には豚革を使うことで爆発的に注文が伸びたの。
理由はやっぱり、とにかく安いこと。だから格が低いと思われつつも、値段は圧倒的に下げることができた。
今まで3〜4万円くらいのしか作れなかったのが、一気に1万円台とかで作れて。
それで尚且つ、これは自分の趣味・嗜好の話になるんだけど、装飾しないシンプルなものが好きなのね。
何故かっていうと、革が好きだから。
だから、金具とか芯材とか、硬い革とかがとにかく、当時からあんま好きじゃなかったの。
その結果なにがいいかっていうと、使うパーツが増えるほど、金具一個使ったら何百円って値段って上がる。
削ぎ落としたデザインが好きなことで、結果的には多くのパーツを使わずに商品の価格も下げられて、更に軽かったから喜んでもらえた。
重さは全く意識してなかったんだけどね。
— えっ、意識してなかったんですか? バッグの軽さはわたしがRENさんファンである理由のひとつです。
重さは全く意識してなかった。
当時なんて重いとか軽いとかって話、業界的にもなかったからね。ここ10年くらいだと思う。重いとか軽いとか、グラム表記とかがされるようになったのって。
そういう概念がなかったから、これはもうラッキーな副産物というか、たまたま目指してたデザインや嗜好が、たまたま時代にもマッチしてきたってところ。
今は軽くなきゃ売れないっていうくらい重さも重要視されるようになったからね。
— 最近はシンプルだったり削ぎ落とされたデザインが主流になってきていますよね。それを考えると、かなり時代を先取っていたんですね。
当時は展示会でも「すごいね、何これ??」とか言われたことあるからね。裏地もついてないし、芯も入ってないし、ポケットもなくて。
だからやっぱり、今振り返ると早かったんだと思う。
今はね、こんなバッグなんて当たり前だけど、当時はなかったから。
— 当時は豚革を使うことも、削ぎ落とされたシンプルなデザインも新鮮だったということですね。
そうそう。特にうちの豚革って染色しかしてないから、傷もあるし色ムラもある。こういうの革を使うって未だにあんまりないかもね。
だからやっぱり、メリットとデメリットがすごくはっきりあるっていうのが、うちのブランドの特徴かな。
— 確かにそうかもしれません。でもそのぶん刺さる人には刺さる。みたいな感じですよね。
そうそう。だから実は、広い層に受け入れてもらおうとはあまり思ってないんだ。
「シャツを着ているように、バッグを羽織るという感覚を持っていたい」
自分は、洋服でシャツを作る感覚でバッグを作りたいなと思っていて。バッグを背負うとか、肩にかける、手にもつっていうんじゃなくて、羽織るっていう感覚を持っていたいの。
シャツはもうすでに着ているのが当たり前だから「あの人シャツ着てるな」なんて思う人いないじゃない。
そんな感じで自然にバッグが肩からぶら下がってる、手に持ってる。みたいな。
だから洋服を意識して、お店でも大体ハンガーラックにバッグを吊り下げてるの。
シャツをかけているような感覚で見えるように。
だから洋服はやっぱり今でも好きなんだよね。作らないだけで。
— なるほど。やっぱり従来のレザーバッグのイメージとはすこし異なりそうですね。
メンズって割と、金具だったり「この革、○○の革ですよ」みたいなウンチクを言うのがレザーグッズの売り方なのね。
もちろんそういうことを知りたくはなるんだけど、そこを全面に押したくはないっていうか。 個人的にウンチクってあまり好きじゃなくて。
もっと言うと、自分は感覚派の人間だから、最後までこの素材が何なのかわからなくてもいい。とにかく美しければ、自分の感覚にフィットすればいいって思っているのだよね。
だからこれが何かっていう情報より、とにかく手触りがいいとか、醸し出す雰囲気とかを大事にしてるの。
— なるほど。すこし話は逸れるかもしれませんが、RENさんのバッグには本体にブランドロゴやマークが入っていませんよね。これって何か理由があるのですか?
うん。まあチャームは入ってるんだけど、あれ取り外しできるから、付けたくない人は付けなくていいようにしている。
— 自分のブランドをいっぱい広めたい・自分が作ったものにサインを残したいっていうよりも、"シンプルな物が好き"っていうのが勝ってるから、外せるチャームだけにしているのかなって。なんだかそれもファッションが好きという気持ちに繋がってそうだなと思いました。
うん、自分を出したいみたいな感情は全くないね。
— 個人的にバッグのようなアイテムを使う側としては、何にもないほうが嬉しいし使いやすいなっていつも思っていて。「お、いいな」って思ってもロゴが好きじゃなくて諦めることもしょっちゅうあります。(笑)
もちろん作り手さんのサインなので尊重すべきではあるのですが、でも「これがなければもっといいのにな〜」って思ってしまうこともしょっちゅうあるので。
その点でもRENさんは珍しいなと思うし、削ぎ落とされたシンプルなデザインというところがそこまで徹底されているのが、いいなと思っていました。
そっか。なるほどね。
あと、それに続くところで言うと、自分は「デザイナーです」っていうプロフィールではないのよ。
あまりブランドの顔として自分が出ることがないようにしたいっていうのかな。
商品に対しては固有の人間像だったり人間臭さの印象みたいなのをできる限り排除したいと思っていて。
— なるほど。だから先ほど伺った肩書きも"デザイナー"ではなく、あくまでも"企画"なのですね。
RENってなんか、「こんなものを作っているんだ」っていうイメージだけでOKっていうか。
精神を残したいっていうのかな。自分は精神的な部分をRENに乗せているから。
— わたしも正直こうしてお話を伺う前は、柳本さんはRENの経営者さんで、デザイナーさんは別にいると思ってました。
そうだろうね。
みんな思ってると思うよ。ぼくがミシンを踏んでいる姿なんて誰も想像できないと思う。(笑)
— そう!想像できなかったです!(笑) だから経営に専念されている経営者さんだと思っていました。
経営は多分向いているんだと思う。単純に。
割と自分のやってることを話すのが得意だし、好きなんだ。
だから、当時出会った革屋さんとかにも「自分はこういうことがしたい。でもお金がない」みたいな説得をして。
ふつう、豚革って一色作るのに100枚〜なんだけど、当時からしたら100枚なんてどこに置く場所もなかった。
それも、先方が在庫を持つって言ってくれて。そういうのもやっぱり情熱的にやりたいこととかをちゃんと話せたっていうのが大きいかな。
話を聞いて共感してくれて協力してくれるっていう。
そういう経緯があったから始められたってところもあるね。だから自分の場合だと、いろいろ材料屋さんとかも含めて、すごい助けられていると思う。
— 柳本さんの人柄ですよね。
そうかもしれないね。
それで、応援したいなとか、一緒にやりたいなって思ってもらえた。
東京での物づくりに限界を感じ、福島の工場と出会う
— それでは独立後は、展示会に出展しながら卸先のお店を増やしていったのですか?
そうそう。
その後、ありがたいことにとある大手アパレルショップに卸せることになって、そこから全国に広がって、一気に伸びた時代があった。
— その頃も自分たちで作っていたのですか?
作っていたんだけど、あるタイミングからすごい量の注文が来て、これは無理だと思って。
もうとてもじゃなくて間に合わないから、電話帳かなんかで外注さんとかを探したり、知り合いとかから探して、ちょっと縫ってもらったりとかもあったね。
東京だと場所が狭いから、箔押しは箔押し屋だし、裁断は裁断屋さん、縫製は縫製場って分業なんだけど、それを取り仕切ってくれる人がいて一時期はそこにお願いしていたんだ。
ただ、うちのバッグの革って傷とか色ムラがあるから裁断がすごく難しくて。
傷がバッグの真ん中にあるのと、端のほうにあるのでは、バッグになったときの仕上がりが全く違ってくるんだけど、でもいちいち職人さんも気にしてられないわけ。
それを気にしたらもう作れないよと。っていうところまできちゃって、それから東京都での物づくりに限界を感じはじめた。
— 確かに分業性だと縫製の都合まで考えて裁断してもらうっていうのはなかなか難しそうですね。
そうそう。
それでそのくらいのタイミングのときに、今もお願いしている福島の工場の先代の社長と出会って、意気投合したっていうのかな。
うちはすごい勢いで伸びていて生産が間に合わず困ってる状態のときに出会ったから、お互いにドンピシャで。
— それはすごい!タイミングが本当にぴったり一致したんですね。
いまだにあれは奇跡だと思う。
田舎だから工場として敷地があって、その中に裁断機もあるし、箔押しもできるし、縫製もできる。
だから、裁断をどこでどういう風にするか等の細かいところまで徹底的に話しあえるようになった。
先方の姿勢がとにかくRENについていこうって形だから、なんでも言ってくださいって言ってくれて。
向こうも仕事がなくなって大変なタイミングだったから、お互いにすごく運がよかったよね。
— なかなかないほど、お互いにいいタイミングだったんですね。
お互いに本当にね。
今はもう2代目に継がれたのだけど、彼もすごく気さくな人で。若くて感性も近いから、いろいろと助かってるよ。
だからそういうところもうちのブランドの強さかな。作る環境が完璧にあって、なんでも言える。
— 理想的な環境が整っているのですね。
そうそう。
ただもちろんさ、不当な関係っていうのは全く望まないから、何がどうだから値下げしろ!とかは絶対にしない。
お互いにちゃんと、向こうにもしっかり儲かってもらって、いい関係を築けてる。
— そうですよね。売れるってわかっていても、作るのが追いつかなかったらダメですもんね。
そうそう。
ただやっぱり、工場も大変だったと思うよ。ほんとうに素あげの状態の革で、どこを裁断していいかわかんないっていう状態で。
でも今はもう慣れて、よくわかってくれてる。
卸売中心から、直営店への移行
— なるほど。ここまでずっと卸売を中心にされてきたようですが、お店を持つと決めたのはどんなきっかけだったのですか?
卸が伸びてる最中から、卸は絶対いつか衰退すると思っていたんだ。
その頃にはちょっとずつ、大手のセレクトが自社ブランドをやり始めたんだよね。それで怪しいなと思って。
お店を作ろう!っていうところで、選んだのが今の蔵前。
— この辺りはもともと問屋街ですもんね、蔵前や浅草って。
そうそう。この辺は本当にいろんな問屋がある。
おもちゃ問屋、花火問屋、で、やっぱり金具屋。いつもいってる金具屋、それから木馬も近い。だから作る環境としても完璧だったね。
その当時、お店はまだカキモリとSyuRoとm+しかなかった。
その頃は、浅草の元靴工場の2階でやっていたんだけど、お店を出すタイミングで、事務所ごと蔵前に移したの。
2005年にRENをスタートして、2012年に蔵前に移ってきた。
卸だけだったのが第1幕。第2幕が蔵前にきた。っていうところだね。
— なるほど。そこからお店をスタートされたわけですね。
そして今は、全国に店舗展開をし始めたところ。
恵比寿で路面店を3年くらいやって、その後に丸ビル、新宿小田急、大名古屋ビル、それから阪急三番街に出店。
名古屋は今年7月に撤退したけど、来年3月には新しく商業施設への出店が決まっているんだ。
大きな流れでいうとそんな感じかな。
当初は10店舗くらいやろうと思っていたんだけど、やっぱりコロナになってから何もかも変わったね。
— お店はやはり大きな影響を受けましたよね。
そう、やっぱりね。今はECをとにかく伸ばすべきだなって。
災害も毎年増えてるし、直営店ってリスクはすごく大きいね。
作り手としての考え方も変わってきていて、すごく強いお店を何件かだけ持ちたいなっていう考えに変わった。
やっぱり店舗のイメージとか表現はしたいから、リアルな店舗はほしいんだよね。
そういうのもあって、もちろん時代の流れもECに傾いているし、だからある意味ここから第3幕が始まる感じかな。
それぞれのアイテムにかける、RENのこだわりと特徴
— それではここからはアイテムについて伺いたいのですが、今回sui.で扱わせていただく3種類のバッグ関して、それぞれのエピソードだったり、思い出だったり、作ろうと思ったきっかけなどを伺えますか?
まずランチバッグは、それこそうちが伸びるきっかけになったアイコン的なバッグで、特徴的にはやっぱり裏地がついていないこと。
マチの作り方とかも、底マチをつけるのではなく、あえて形が定まらないように。
ハンドルもこれは本当は二つ折りくらいで十分だけど、二つに折ったのを更に折って四重にして強度を保ってる。結果的に厚みも出てデザイン的にもいい。
あとポイントは、ここのステッチ。これはうちのオリジナルだと思う。
これは何のためにあるかっていうと、これがないと縫代が汚いの。
— あ、そっか。裏地がないから見えちゃうってことですね。
そう。かといってここにテープとかは巻きたくないしっていうことで、こういう風にした。
見返しはハンドルを隠すためでもあるし、口元の強度だけはどうしても欲しいから。
でも流石に4枚だと汚いんだよね。それを隠して結果的にデザインにも繋がった。という、バッグですね。
— ぱっと見はシンプルな形でも細部へのこだわりがすごいですね!
そうだね、ディテールは本当に特徴的だと思うし、他を探してもこの感じってあるようでないと思う。
— わたしもお気に入りですごい頻度で使ってます。一眼レフカメラまで入るのにハンドバッグだから肩が凝らない。お財布とポーチとスマホとカメラを入れたいっていう時にぴったりなんですよ。
あぁ、なるほど。ちょうどいいんだ。
これは本当にうちのアイコン的バッグだね。
— 続いては、レジブクロショルダーについて伺えますか?
元々は別のメンズのが原型で、それはマルジェラの洋服買った時についてくる白い布切れの袋をモチーフにして革で作ったら、当時すごい売れたの。
それからちょっと作りを変えてショルダーにしたタイプだね。
豚革の場合だと提案しているんだけど、結んで肩がけって結構かっこいいんだ。
なんか通っぽくて、こなれ感みたいな。
あとはとにかく、革の傷の場所は一応かなり配慮している。
それから線がしっかりした革の上の背の方でいいところと、 ダキっていうお腹側の柔らかい端のところとで、使う向きや場所まで指示をしているよ。
物理的な強度や見た目の馴染み方もこの使い方がベストなんだ。
ショルダーの部分はなるべく良い部分を使うとか、そういうことも指示のもと工場さんが配慮しながらやってくれているから。
— やっぱり革が好きと言うだけあり、ものすごいこだわりですね。
そうだね。
このレジブクロショルダーは本当にうちの特徴を体現してるバッグだと思う。素材感とか。
— 続いて、キャニスターボトルについても教えていただきたいです。
これはね、実はMが自分で使いたくてデザインして作ったら、大ヒットした商品。
出したのは3〜4年前だけれど、いまだにお客様からの反応がいい。
このバッグは、サイズ感が小さすぎず、大きすぎずですごく良いみたい。
— 私もすごく気に入って使ってます。カメラは持ち歩かず、最低限の荷物でのお出かけのときにぴったりなんですよ。
すごく小さく見えるけれど、お財布とスマホとポーチ、眼鏡ケースみたいな細々としたものが全部入る。縦長でマチがある分、縦に収納すればモノが迷子にもならないです。
そうだね。パカって開くからね。
あと他に特徴的なところは、裏地がついているところかな。極力目立たない作りで付けてある。
その頃くらいから、Mにも企画をお願いするようになったかな。
ぼくのデザインって保守的なんだと思う。Mのデザインは非常にアクセントになっていて、いいバランスなんだよね。
今は割と、Mのデザインは欠かせないっていうか、ポイントとなる商品を作ってくれているっていうのかな。自分にはない部分があるんだよね。
— なるほど。ちなみにこのバッグはヤギ革製ですよね?
そう。縫製はいつもの国内工場だけど、革はインドで作ってるヤギ革。
インドとかインドネシアは宗教の関係でヤギを食べるから、皮がたくさん出るんだよね。
お祭りの時とかもヤギ。逆に牛とかは神聖なものっていう扱いでダメなんだろうね。
そう言った意味で、インドのヤギを扱うことって理に適っているなと思ってる。
「ものづくりに携わってる人に気に入ってもらえるのは、特に嬉しい」
— ブランドとしてRENを立ち上げて、嬉しかったことなどはありますか?
ものづくりをしている作家さんに使ってもらえるっていうのは、やっぱり特別かな。
ものづくりをしてる人って感性が違うから見ている場所も違うと思っていて、そういう人に響くのはすごく嬉しい。
きっと自分と同じような気持ちで良さがわかってくれているんじゃないかって。
あとなんか有名な切手作家さんが愛用品として雑誌で紹介してくれたり、写真家の人とかが持ってくれてたり。
なにかしらのものづくりに携わってる人に気に入ってもらえるのは特に嬉しいし、実際に持ってくれている人も多いみたい。
同じものづくりをする人として、それがとても嬉しいかな。
これからは、世の中で求められてる物も作っていきたい。
— なにか今後やりたいこととか、新たに挑戦したいことなどはありますか?
最近、はじめてなんだけど「どんなバッグを作って欲しいか」ってスタッフに意見をとってみたんだ。
そうしたら販売スタッフが「こういうバッグが欲しい」って意見をくれて。
これは逆に一番難しいパターン。
なぜなら何の特徴もないから。どこかにRENらしさを出さないとって。
それから一旦は諦めようと思ったんだけど、これって明確に何を入れたいか決まっていて。A4サイズとノートパソコンを裸で入れたいって。
例えば電車に乗っていて膝の上で仕事したいっていう時、ケースに入れて更にバッグに入れるのが面倒くさいっていう人が多いから。
ただ単純にA4やノートパソコンを入れたい。すっぽりサイズが良くて、これ以外何も入らなくていい。っていう意見があったから、きちんと向き合ってみようと思って。
ただこれを豚革とかでやると、表現をするのが難しいなと思ったんだ。
だから一番適したヤギ革にしてみたんだけど、ちょっとベロアっぽい素材感っていうのかな。これならもしかしたらいいのかもって思って、やってみた。
自分には、なにか具体的な物を入れるっていう発想があまりなくて。さっきいったように洋服的な発想があるからね。
— 確かに。道具っていうよりもファッションよりの感性でものづくりをされていますもんね。
そうなの。
だから持った時のバランスとかは今までもとても気にしてたんだけど、これは目的がしっかりあるバッグの、ある意味第一弾的くらいな感じ。
なんの変哲もないんだけどね。
— 目的と需要があるものをRENらしく表現されていくということですね。これからもとても楽しみです。
そうそう。
アンケートをきっかけに、自分もそれなりに納得できるものができたから、すごい楽しかったなと思う。
共同制作じゃないけど、そんな気持ちになるよね。今まではなんか孤独に作ってきた感はあったから。
今まではなんとなく「素敵なものを何か作ろう」ってところで考えてきていて、世の中で必要とされてる物みたいなものを作ってこなかったから、今から作ろうって思って。
今の自分だったらちゃんと消化できるかなって。今ならそういう余力もあるし、力もついてきたんじゃないかなって思ってるんだよね。
っていうのが、今面白いところ。スタッフだったりお客さん、身近な人をターゲットに、より具体的な物?っていうか、世の中で求められてる物を作る。
柳本大|Dai Yanagimoto
REN 企画 / 株式会社バスデムシャット代表取締役
1979年 千葉県うまれ
現在は清澄白河在住。二児の父。
— 編集後記 —
後日、柳本さんとMさんと一緒に福島の工場にもお邪魔させていただいたのですが、先代も二代目の社長もとてもお人柄がよく、柳本さんたちとの信頼関係も強く感じることができました。
実は数年前からの知人でもある柳本さん。今回改めてこのようなお話を伺えたことで新たな発見が多く、驚かされっぱなしでした。
細部までこだわり、RENの美学がたっぷりと詰まったバッグを、これからも大切に大切に使っていきたいと思います。
( 取材・写真:norimai / 一部写真:山田将史 )
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